1988年2月21日、東京都世田谷区で目的も動機も不明で、後に様々なメディアを賑わせた事件が起こった。
中学校に侵入した犯人が校庭に机と椅子を9の字に並べたのである。
事のあらましは、1988年2月21日午前1時頃、東京都世田谷区鎌田の区立砧南中学校に、ストッキングで覆面して軍手をはめた男達が、校門を乗り越え侵入。宿直室にいた警備員をガムテープで拘束してトイレに監禁した。
それから3時間後、警備員は自力で脱出し通報。外に出てみると校庭に大量の机と椅子が置かれていた。最初はそれがなんだか分からなかったが、屋上から見る事で9の字になっていることに気が付いたという。
では、この事件の結末は一体一体どうなったのであろうか?
実は答えはすでにでている。
4月末になって事の真相が明らかとなった。捜査に当たった警視庁成城警察署は4月30日までに、犯行を呼びかけた同中学3期生の園芸リース販売業・A(当時22歳)ほか実際に校舎に侵入し机と椅子を並べた8名と、文字デザイン・設計担当の信州大学農学部3年生・B(当時22歳)の計9名を警備員に対する逮捕監禁容疑で逮捕した。主犯のAほか8名のうち、Aら4名は同中学の卒業生、1人は同中学在校後他校に転校した者、3人は同中学との関係はないAの知人など。またBも卒業生であった。Aは同中学在学中「多摩川ブラックエンペラー」なる暴走族に属していた非行少年であった。またAは逮捕前、毎日新聞の取材を受けていた。
逮捕直後は「宇宙人に対しての呼びかけ」・「1999年に日本のトップに居るという宣言」などと供述していたが、真の犯行の動機は「世間を騒がせたい」「久しぶりに沢山の仲間とワイワイやるのが楽しかった」というもので、単なるいたずら・愉快犯であった。「9」の文字の意味も、グループの人数を示すほか、A個人が「1桁では最大で一番好きな数字だから」という、さしたる意味もない単純なものだった。
刑事裁判では主犯のAに懲役1年6か月、Bら主犯格2名に懲役1年(共に執行猶予3年)の有罪判決、他6名には罰金1万円の略式命令が下された。これは建造物侵入、逮捕・監禁罪のもので、校庭に「9」の字を作った罪ではない。
wikipedia-机「9」文字事件より
なんともお騒がせな事件であった・・・。
4 Comments
匿名
6月 13, 2018 at 6:49 amどんだけ9が好きなんだ
匿名
6月 14, 2018 at 7:49 pmせっせと運ぶシーンを想像するとシュール
匿名
6月 15, 2018 at 1:00 am執行猶予ついたとはいえ結構重い罪だよな
いたずらは身を滅ぼすな
匿名
2月 21, 2022 at 9:26 amすご・・・