ホープダイヤモンド

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ホープダイヤモンド

呪われたダイヤモンドの話を聞いたことがあるだろうか?
持ち主が次々と死んでいき、人から人へと移り渡ってきたのだという。
現在はスミソニアン博物館のひとつ、国立自然史博物館に所蔵されている45.52カラットのブルー・ダイヤモンドである。

9世紀頃、インドの川で農夫が見つけたのが始まりである。
発見後すぐにヒンドゥー教の寺院に祀られていた女神シータの目にはめ込まれた。
1660年、フランスの行商人がシータにはめ込まれていたダイヤモンドを盗み、フランスに持ち帰ってしまった。それを知った寺院の僧侶がダイヤに呪いをかけたと言われている。
1830年、ロンドンで競売にかけられていたところ、実業家のヘンリー・フィリップ・ホープによって落札され、4代に渡って所有することとなる。
約30年後、ホープ家は破産する。それからこのダイヤはホープダイヤと呼ばれるようになった。

このダイヤがホープ家の手を離れてから約50年間で8回も売却されたいる。そしてその所有者はことごとくに不幸に見舞われたのだという。
現在はスミソニアン教会が所有していて、フランス国立自然史博物館に所蔵されている。

しかしこの呪いは実は脚色されているところが多いのだという。

「呪い」の話は、1909年にロンドン・タイムズの6月25日号において、パリの通信員が「悲惨な最期を遂げた」とする架空の所有者を多数含んだ記事を寄せたのが最初であるとされる。

さらにこれらの伝説を拡大する役割を果たしたのが、フランシス・ホープと離婚したメイ・ヨーヘだった。彼女は離婚後の愛人と別離し、ダイヤを愛人に奪われたと主張したり、自分の不運がダイヤのせいだと決めつけた。しかし後に、その愛人と再びよりを戻して結婚、再度離婚した。2度目の離婚後、メイは「ダイヤモンドの謎」という15章からなる本を他の執筆者の助けを借りて書き上げ、その中にさらに架空の登場人物を加えたのである。ついには彼女は自分の書いた本をベースにした映画を作らせ、それにフランシス・ホープ夫人役で主演し、ここでも話の誇張と人物の追加をしている。メイは映画の宣伝と自分のイメージアップのためにホープダイヤの模造品を身につけていた。

また、マクリーンはエカチェリーナ2世などの所有者を加えて話を脚色していたという。

wikipedia-ホープダイヤモンドより

つまるところ呪いと言われているほとんどが脚色されたものだったのだ。そうほとんどが・・・

3 Comments

  • 匿名

    6月 14, 2018 at 7:46 pm

    プラシーボ的なあれかな

  • 匿名

    6月 15, 2018 at 12:58 am

    この話を聞いて思うこと
    そもそもフランス人ダイヤを盗むな、だな。

    匿名

    6月 15, 2018 at 7:45 pm

    ちょっと実物を見て見たい気もする

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