紀元前のギリシャ世界のみならずペルシアにまでその名を轟かし強大な武力と統率力によって一帯を征服した、勇猛にして偉大なアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)。
彼の遺体の行方は現在でも不明なままだ。
大王が亡くなったのは紀元前323年、僅か32歳の時だ。バビロンにて病死した彼は現在のエジプトのアレクサンドリアに埋葬された。
しかしその後墓は異教徒に襲われ、アレキサンダー大王の遺体の行方はわからなくなってしまった。
歴史上でも大きなミステリーとなっているが、実はその遺体、遠くイタリアのヴェネチアにあるという。
ヴェネチアでは翼の生えたライオンがシンボルマークとなっている。これは聖マルコを表している。
そう、ヴェネチアといえばサン・マルコの名が付いた広場や大聖堂が有名であるがもちろんサン・マルコとは聖マルコのことである。
もともと聖マルコはこの地にゆかりのある人物ではなかった。海運都市ヴェネチアは海上貿易を掌握し国力を増すに連れ国の守護聖人を欲した。9世紀にエジプトから「聖マルコ」と伝えられるミイラ化した遺体をヴェネチアに持ち帰り、サン・マルコ大聖堂に安置したのだそうだ。
ここで一つの大きな疑問が立ちふさがる。史実では聖マルコは火葬されているのだ。
実際にヴェネチアのサン・マルコ大聖堂にはミイラ化した遺体が安置されていることが確認されているが、だとするとこのミイラは一体何者なのだろうか。
そう、これこそがアレキサンダー大王のものである。
翼の生えたライオンについては先述したが、ライオンとはアレキサンダー大王の象徴でもあった。
また、遠くギリシャで発見された彼の父の墓に刻まれていた一族の紋章(家紋のような物)がサン・マルコ大聖堂にある棺からも見つかっている。
さらに、聖堂にはグリフォン引かれる戦車に乗った騎士のレリーフが発見されている。これも伝承されてきたアレキサンダーの逸話と重なるのだ。
サン・マルコとされている遺体が本当にアレキサンダー大王のものだとしたら世界史を揺るがす大発見になることは間違いないだろう。
これはただの噂なのだろうか。それともーー
2 Comments
匿名
10月 5, 2018 at 2:10 pmヴェネチアが都市として完成する前からそこら一帯にはアレキサンダー信奉者が住んでたんだよな確か。
キリスト教の海運都市としてヴェネチアが出来て表向きは聖人を祀っていても、脈々とアレクサンドロス信仰が残っていたとしても不思議ではない気が
匿名
10月 6, 2018 at 3:12 pmなんと若いな