西暦606年に聖徳太子によって建立されたと言われる兵庫県太子町の斑鳩寺。ここには建立当時地球がまだ球体であることが知られていないにも関わらず地球儀が存在していたという。それが聖徳太子の地球儀・地中石である。
この地球儀には南北アメリカ大陸や、ユーラシア大陸だけでなくなんとムー大陸と思われる大陸が描かれているという。
“聖徳太子といえば、今から1400年も前の人だ。その当時は、東アジアでは地球が丸いという概念さえ知られていなかった。その時代にどうやって地球儀が作れたというのだろうか。しかも、その地球儀には、ヨーロッパ、アジア、アフリカだけでなく、両米大陸(1492年発見)や南極大陸(1820年発見)など大航海時代以降にはじめて明らかになった地域の地理まで、正確に作られているのだ。
この地球儀がいかにして作られたか、その手がかりと思われるのが、ちょうど太平洋の真ん中にあたる箇所にある巴状の三つの陸地だ。それは今から約12000年前に太平洋に沈んだというムー大陸と思われる。つまり、この地球儀はまだムー大陸が存在した時代の地理に基づいていると考えられるのだ。聖徳太子はムー大陸時代の超古代文明が残した知識を何らかの形で受け継ぎ、この地球儀を作ったのだろう”
http://www.asios.org/shotokutaishi.htmlより
果たしてどういう意図で作られたのか。そして斑鳩寺に所蔵されていたのは何故なのか・・・。
3 Comments
匿名
5月 1, 2018 at 8:21 amムー大陸というかフィリピンやインドネシアをまとめたとこなんでしょ
匿名
5月 1, 2018 at 12:11 pm仮にその時代のものだったとして聖徳太子が作ったっていう証明は?
匿名
5月 2, 2018 at 6:58 am聖徳太子(574-622)の時代ではなく1602年以降の製作である可能性が高いらしい