徳川将軍であった家茂の正室として、また仁孝天皇の娘(内親王)として知られている和宮ーー彼女を巡るひとつの謎がある。
和宮は徳川家の菩提寺であり数代に渡り徳川将軍やその妻が埋葬されている東京の増上寺に眠っている。改葬の折に和宮の墓の調査が行われたのだが特段豪華な副葬品も無くとても質素に、ただ一枚の写真と共に葬られていた。
しかしながら、経年変化に加えて外気に触れた化学変化によって写真はとても不鮮明になっており何が写っているのか判別不能だったのである。辛うじて判ったのはどうやら人物らしい、そして男性なのではないかということだった。
しかもこの写真、ただ単に棺に入れられていたのではなく、和宮の遺体に抱きしめられていたというのだから相当な想いがあったことは想像に難く無い。
皇女と言えども一人の女性ーーそう考えると写真に写っていたのは和宮が想い焦がれていた人物であると考えるのが自然ではないか。
とはいえ、家茂の妻であったのだから家茂に間違いないだろう、と言えるだろうか。
実はこの和宮、若い頃に婚約者だった人物がいるのだ。その名を有栖川宮熾仁親王と言い、和宮と同じ皇族であった。
しかし権威を失いつつある徳川家の目論見によって家茂と政略結婚させられてしまい、熾仁親王とは結局結ばれることはなかった。
一説にはこの熾仁親王の写真なのではないかとも言われているが…科学技術の発展によって写真の主が判明する日は来るのであろうか。
3 Comments
匿名
6月 15, 2018 at 12:55 am徳川家の菩提寺に埋葬されてたんなら普通に家茂の写真じゃないの?
他の写真なんか入れようものならまじでタダでは済まないと思うんだけど…
匿名
6月 15, 2018 at 7:43 pm死んだ後に持たせたということは周りの人間だよね
なんにせよ周知の事実があったわけだよね
匿名
6月 16, 2018 at 2:16 am政略結婚の割には家茂とすげえ仲良かったって話もあるよな
しかも家茂には先立たれてるし、案外本当に家茂の写真抱きしめて葬られてたのかもな