現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州デア郡に、ロアノーク島という植民地があった。
この地は1585〜1587年にかけ、ウォルター・ローリーによって、幾度かの植民地建設が実行されたが失敗に終わっている。
1585年、最初の派遣隊であるラルフ・レーンとリチャード・グレンビルたちの遠征隊が派遣された。しかし到着時に浅瀬に乗り上げほとんどの食料を失い最初の植民は失敗に終わった。
1587年、ローリーの友人で芸術家でもあったジョン・ホワイト指揮の元、植民者遠征隊が派遣された。その後ホワイトはイングランド本国へ戻らねばならず、ロアノーク島には115名の男女植民者が残された。ホワイトがロアノーク島に戻ってきたのはそれから3年後の1590年8月18日である。
開拓地は荒廃していた。そして残された隊員達も誰一人として見つけることはできなかった。唯一の手がかりは砦の柱に彫られた「CROATOAN」という言葉と、近くの木に彫り付けられた「CRO」というメッセージである。
彼らはどこへ消えてしまったのか?
仮説の一つは、
1587年植民地の終末は記録されておらず(「失われた植民地」と呼ばれるようになった)、植民者達の運命については様々な憶測が生まれた。主流となった仮説は彼らが地元のクロアタン族、あるいはハッテラス族、あるいはほかのアルゴンキン族インディアンの中に分散し吸収されたというものである。とはいえ彼らが先住民と同化できたかどうかについての確たる証拠はまだない。
wikipedia-ロアノーク植民地より
というものがある。それ以外にも、自力で帰国しようとして海難事故にあった、人肉食によって食い尽くされた、スペインによって滅ぼされたなどの説がある。
また、現在では以下のような学術的調査結果などがある。
1998年、東カロライナ大学はロアノーク事件を考古学的に調査する「クロアトアン・プロジェクト」を組織化した。島に派遣された発掘調査チームは、昔のロアノーク植民地から50マイル (80 km) にある古代クロアトアン族首都があった地点で、16世紀の10カラット (42%) の金製印章指輪、銃の火打ち石、および16世紀の銅貨2枚を掘り出した。系譜学者は印章指輪に彫られたライオンのクレストで、ケンドールの紋章に行き着き、この指輪は1585年から1586年にロアノーク島にあったラルフ・レーンの植民地に住んだという記録があるマスター・ケンドールの所有物だったが可能性が強いと結論づけた。これが事実であれば、この指輪はロアノーク植民者とハッテラス島のインディアンの間の関係を結びつける初の物的証拠となる。
失われた植民地DNAプロジェクトとは、テキサス州ヒューストンのファミリーツリーDNA社の「ロアノークの失われた植民地DNAプロジェクト」によって現在遂行されている研究である。このプロジェクトは、失われた植民地の生存者が養子縁組あるいは奴隷化によって地元のインディアン部族に同化したかどうかをDNA型鑑定を使って実証することを目指している。これら種族の間にはかなりの比率で植民者の姓が存在している。さらにこの理論を裏付ける事実が発見されてきた。
wikipedia-ロアノーク植民地より
果たして真相は・・・
3 Comments
匿名
6月 11, 2018 at 6:46 amなるほど同化した訳か
匿名
6月 11, 2018 at 10:16 am無人島じゃなくて原住民のいるところに送り込まれたわけか。
下手すりゃ全員殺されててもおかしくないわな
匿名
6月 18, 2018 at 1:14 am「CROATOAN」
残されたメッセージの真意はなんなのだろう