長崎の原爆ドーム

   ,   3

長崎の原爆ドーム

長崎にも原爆ドームがあったのをご存知だろうか。今では知る者も少ないこの事実にはひとつの謎が存在しているーー

1945年8月9日、長崎に原子爆弾が落とされた。
爆心地は長崎市の浦上地区であり、浦上天主堂という当時東洋一のロマネスク建築と称された教会が倒壊を免れ被曝の象徴として残されることが検討されていた。それは広島で言うところの「原爆ドーム」の役割を担うことを意味した。

市議会では保存に向けてのコンセンサスが取れており、市長もその意向であった。
しかしその僅か一ヶ月後、当該市長がアメリカ査察を終え帰国すると態度を一変させていたのである。

結局市長の提案によって浦上天主堂は取り壊されることになった。申し訳程度に平和公園内に遺構の一部が移設されたのみで。

仮に浦上天主堂の被曝廃墟が現存していたら長崎の象徴となっていたはずであり、広島の原爆ドームと同じく世界遺産となり戦争の悲惨さを後世に伝え続けたはずである。

なぜ保存に前向きだった市長は取り壊しに舵を切ったのだろうか。
実は当時の資料は役所に起きた不審火によって全て消失してしまっているという。

市長の米国査察時に一体何があったのであろうかーー

3 Comments

  • 匿名

    7月 1, 2018 at 8:46 pm

    市長がアメリカでえげつない接待受けたんやろな
    わかりやすいやん

  • 匿名

    7月 2, 2018 at 8:42 pm

    市長は洗脳されて帰ってきたのかな?
    てかそもそも長崎の市長がみすみすアメリカ行くなよ

    匿名

    7月 2, 2018 at 9:30 pm

    不審火とは・・・

匿名に返信する コメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください