邪馬台国の場所は現代においても100%確定出来ていない。
可能性の高い場所としてあげられているのが「畿内説」と「九州説」だ。 また、九州から畿内へと移ったという「東遷説」も存在する。
近年では 『纏向遺跡は邪馬台国の跡であり、箸墓古墳が卑弥呼の墓である』 という畿内説に有利な状況になっているが、果たして…
学会のパワーバランスのせいで畿内説が有力視されてるだけ
むしろそもそも存在してないとか
可能性低いけど四国説ってのも出てこなかったっけ
徳島説な。魏志倭人伝の邪馬台国までの行程を正確に読み解くとなぜかそこになっちゃうんだよな
次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。
Δ
このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。
4 Comments
匿名
5月 15, 2018 at 6:15 pm学会のパワーバランスのせいで畿内説が有力視されてるだけ
匿名
5月 16, 2018 at 10:03 amむしろそもそも存在してないとか
匿名
6月 22, 2018 at 2:28 am可能性低いけど四国説ってのも出てこなかったっけ
匿名
10月 5, 2018 at 4:44 pm徳島説な。魏志倭人伝の邪馬台国までの行程を正確に読み解くとなぜかそこになっちゃうんだよな